木戸じゅん。

猫のように身軽に生きる

【寄付のススメ】難しく考えず水を恵む程度の軽い気持ちで寄付しよう

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この記事はカジュアルな寄付のススメである。

 

先日、ブログの記事を書くためにWikipediaを閲覧したとき、「寄付のお願い」が表示された。

そして、ちょっとだけ考えてから、寄付することに決めた。

 

以下が寄付の後で送られてきたメール。

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私が寄付先の団体を決めるときは、ざっくりとだが以下のような基準に照らし合わせて判断している。

インフラストラクチャー(水、自然環境など)の整備に取り組んでいる

・教育水準を上げるための活動をしている

・逼迫した状況の人々を支援している

発展途上国での活動がメインである

・認定NPO法人である

 

これらのうち、2つ以上の条件に当てはまれば寄付を検討する。

 

発展途上国の支援を条件に挙げている理由は、単純に日本は豊かで支援の必要性が薄いからだ。

日本が豊かでないという人は、どれだけ理想が高いのだか知らないが、一度国外に出て生活してみることをおススメする。私はフィリピンで半年ぐらい生活したが、あそこはアジアの中でも比較的発展しているといわれる国でありながら、国民の生活水準はインターネットで得られる情報ほど高くなかった。

むしろ、低かった。

 

インフラの整備、特に水に関しては特に支援をあつくしたいところである。

日本の水事情は最高水準にある。日本の水道は飲用にも生活用水にも使えるが、他の先進国では水道水を生活用水にしか使えないところがある。だが、そもそも水道が引かれていない国や地域からすれば、ひねれば水の出てくる蛇口が自宅にあることすら自慢の種になるだろう。

インフラ(生活基盤)が整っているからこそ、人は安全に暮らせるし、健康な子供を育てることだってできるのだ。

 

最後の条件の「認定NPO法人」だが、これについては確定申告での「寄付金控除(超カンタンにいえば税金負担を減らせる)」が目的だが、日本で認定NPO法人として認められるためには一定の条件を満たさなければならないので、団体の信用度をはかる基準になる。

 

などといろいろ語ってきたが、最終的に決めるのは私の直感なので、上記の条件を満たしていなくても例外として寄付することがたまにある。

そのひとつが、先ほど紹介したWikipedia(運営はウィキメディア財団だ。

 

正直に言うと、寄付を募るバナーを見て、寄付を検討するどころかうっとおしいと感じてしまった。なぜかというと、生き残るために支援を欲する人々と比べて、彼らは豊かに感じられたからだ。

予想でしかないが、Wikipediaの運営に携わるスタッフの得ている報酬は、Wikipediaの持つネットへの影響力から考えて、私よりも何割か(ひょっとしたら数倍)上だろうと推測している。

そんな彼らに私が寄付する? 私より豊かな人々に対して?

 

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そんなことをしばらく考えていたのだが、ちょっとだけ考え方、というか視点を変えてみると、私がWikipediaに支援することにも意味はあると思えてきた。

 

突然だが、記事を読んでいるあなたへ質問だ。

この記事を書いている時点(2021年7月)では夏だが、部屋の外は炎天下で出歩くときは勇気と覚悟が必要なぐらいだ。少なくとも私にとってはそうだ。

セミの鳴き声が四方からジージーと聞こえ、まとわりつく湿気と汗が混じりあい肌をじっとり不快にさせ、アスファルトの路面から放たれる太陽の輻射熱があなたの靴をあぶる、そんな厳しい真夏の日。

この陽気の中で、喉がカラカラでいまにも熱中症で倒れそうな人と、タンクトップと短パンで走る瘦身のランナーがいたとする。

この二人があなたに向かって「お願いだから水を分けてくれませんか」と無心してきたとする。あなたは偶然ミネラルウオーターの入ったペットボトルを3本持っている。

さて、この時あなたならどうするか。

 

この質問にどう答えても、正解は無い。

世の中には正しい答えのない問題というものがあるが、これもその一種である。

水を与えないもよし、一人にだけ与えるもよし、二人ともに与えるもよし。

個人の価値基準にそって答えを出せばいい。

 

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もうお気づきだろうが、ここで恵む水=お金と置き換えてくれれば、私の意図は伝わると思う。

喉がカラカラの人は、生存のために寄付を必要する人で、痩身のランナーはWikipediaだ。

その二人に水を与えても、あなたの手元には1本のミネラルウォーター(お金)が残るから、しばらくは安心だ。

 

Wikipediaが寄付を募る理由は、彼らが走り続けているからだ。

それはネット上の中立的な百科事典という立ち位置を守り続けるためなのか、はたまた彼らと関連する事業の成功のためなのかは知らないが、私からすればWikipediaは「ある程度信頼できる情報源」の1つであり、この雑多な情報がひしめき合うインターネットでは貴重な存在なのだ。

彼らが広告を一切表示しない百科事典であり続けてくれるなら、私は彼らを応援してもいい。

そう思ったから、私はWikipediaに寄付することにした。

 

寄付を普段しない人には、「寄付という行為」に対する抵抗感が根付いているのだろうと思う。

偽善的とか、損した気持ちになるとか、あれやこれやと思考が浮かんでくるのだろう。

 

しかし、だ。

やってみるとわかるが、寄付という行為について難しく考える必要はない。

喉が渇いている誰かに対して、コップ一杯の水を差し出す程度の軽い気持ちでやってみればいい。

 

寄付は真なる善でも、偽りの善でもない。

単純に富を分け与える行為であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

立場を変えて、もしもあなたが恵まれる立場になったとき、恵んでくれた人に対して「偽善者」とののしりたくなるだろうか。

きっと、心からの感謝を伝えたくなるはずだ。

少なくとも、私だったらそうするだろう。